禁止・強制、「ダメ、ゼッタイ。」

備忘録的にレーシック後遺症の記録を綴っていきます

2年ぶりですね。裁判を終えて

皆様、お久しぶりです。

 

2017年末から放置しておりました。

 

裁判で係争中でしたので、書きたくてもレーシックがらみのことはあまり好き放題書けなかったのもありますが、勝訴的和解が成立したので、まずは一区切りです。

どうも冬に書きたくなる傾向があるようで、これは夏よりも寒くなってきたほうが、どうにも症状がよろしくないのです。

 

和解のお金は頂きましたが、まぁ、治療費や緩和策、眼鏡代、その他レーシックがらみでかかった生涯出費より少ないです。(具体的数字は言えない条項がついてるのですみません。)

そしてこの後、この苦悶の眼と長く付き合っていかなければならないので、勝敗で言えば私も、被告医院も、だれも勝者はいない、というのが正直な感想です。

(もちろん、強力にサポートしてくださった弁護団の先生方には生涯感謝を忘れないでしょう。)

 

個人的に訴訟に踏み切った理由は二つありました。

一つは、使った医療費が莫大なので金銭面・治療面からの私個人の救済。

もう一つは、被害者量産するいい加減な医療へ社会的ペナルティが加わること(将来的に判例になること)

 

一つめの救済に関しては、少なくとも金銭的には穴埋めされました。(レーシックがらみの出費のすべてじゃないですが)

あとは、裁判官に陳述しましたが、この話題が社会一般に認知され治療法の確立や拠点病院の展開に拡がっていくことがお金よりももっと大切と考えています。

本当にもっともっと風が吹けば動くんですよね。

子宮頸がんワクチンのときの厚労省対応、マジで早かったですもん。3ヶ月で専門の拠点病院を全国に設置でしたね。

裁判も一部の原告は結審に向かい、かつレーシックを受ける人口そのものが減っている今、まぁ若干下火な話題ですけどね。。。

 

もうひとつの社会的制裁に関しては、最高裁判決にでもいかない限りたいした報道もされずなので、あまり効果があったとは思えません。

判決か?和解か?

これは、私を含め多くの原告たちも長きにわたり逡巡して、弁護士の先生方とも何度も何度も話し合い、自ら和解と決めたことなので後悔はありません。

カッコつけるわけじゃありませんが、最高裁判決でもしも負けてしまい、それが報じられたら、他の被害に遭われた方々の救済の道は閉ざされ、今後もレーシック医院は大手を振って過矯正のペダルを踏む、そんな未来は許せないし原告団の誰も望みませんでした。

はちきれそうな想いを抱えながら苦渋の末に和解に協調してくれた方のあのときの顔を想うと、今でも寝る前にうっすら涙がにじむこともあります。

 

と、落としどころのない話になりましたが、とにかく前を向いて生きていくしかありません。 

今日も硬直しきったこの眼の緩和法、誰か教えて〜(苦